長く続けていた習い事を辞めた
仕事が忙しくなった事もあるけど、根っこのところは価値観についていけなくなったこと
いわゆるコロナやワクチン系である
先生は、昔からスピリチュアル系に関心を持っていた人だったけど、それまで自分の中だけで完結していたものが、ここ数年で他人に強制するようになってしまった
それは、悪気は全くなくて、「私が皆を守らなければ!」という善意から
コロナ禍でエコーチェンバーが問題視されていたけれど、確証バイアスというものは本当におそろしいものである
私個人としては、何が正しいかなんて分からない。
答えは数年後、もしかすると数十年後に分かるものなんだろうなと思っている
問題なのはゼロイチ思考に陥ってしまい、こっちは善、あっちは悪と決めつけて物事を判断してしまっているところ
その思考はコロナやワクチンだけでなく、とうとう生徒に対しても善悪を決めつけた判断・態度をとるようになってしまった
悪と決めつけられた生徒を詰めてる姿を見せつけられる方はたまったものじゃない
同じ生徒だよ?
なぜ言い分を聴こうとしない?
それ、会社なら一発でパワハラ認定だよ?
どうしてこうなってしまったのか?…と残念でしかない
習い事を始めた時は先生のことが大好きで、レッスンも楽しみで仕方なかった
怒られることはあっても、それは練習不足が理由だから、怒られる側も納得できるものだった
かつては練習不足で怒られるかドキドキしていたのが、今や、今日のレッスンは普通のレッスンか、また「始まっちゃう」のか、そんなところにドキドキしている
いつか前みたいに戻ってくれるんじゃないか?と淡い期待を寄せつつ、同時に、別れの決定打も探していた
辞めるにあたり、たかが習い事ではあるが、組織運営について学びもあった
まず、本業に集中すること
その組織・チームにはミッションがあるわけで、そこをしっかりやること
メンバーはその仕事をしたいのであって、上の「趣味」に付き合うつもりはない
上も「趣味」に付き合ってもらうなら、そういう自覚を持ってないと人は離れていく
次に、人の心は離れたら戻らないこと
辞めると申し出があった時点ではもう遅い
自分もだけど、全出席していたものを何回か休んだりしてた
それなりに予兆はあるので、その違和感にいかに気づき、放置しないで早期に対処するかは大事
そして、パワハラは組織を縮小させていくということ
トップ(+側近)の意にそぐわなければ怒られる
また他の人が怒られる姿を見せられていれば、自発的に何かやろうという人はいなくなる
人は抜けるし、新しい人は入ってこない・定着しない
辞めたところは数年後、どうなっているのだろうか
